国際総合学類3年 神長 広樹

調査動機:
交換留学生として過ごす傍ら、その残り滞在日数もわずかとなってきました。その限られた時間を最大限有意義に過ごすためにも、今、これまでを振り返り、反省することは非常に効果があると思ったからです。また、友人の思いを聞くことで、自分を見つめなおす良いきっかけ、刺激にもなるのではないかと。

調査方法:
インタビュー方式。対象は1年間の日本人交換留学生で、すでに1学期を過ごした者。

基本質問事項:
0 「どうしてリトアニアを選んだのですか?」
1 「これまでの留学生生活を1冊の本にすることが決まりました。タイトルとその理由を教えてください。」
2 「留学開始当初、去年の9月にタイムマシンで戻りました。何からやり直しますか?」
3 「リトアニアに来て自分自身に変化はありましたか?プラスのこと、マイナスのことも教えてください。」
4 「こちらに来てから、もっともトキメイタ瞬間はいつですか?」
5 「リトアニアのお国自慢をしてください。」
6 「何かリトアニア、あるいはリトアニア人にアドバイスをしてみてください。」
7 「“リトアニア”を日本語1語で表してみてください。」
8 「もう1学期、国を変えて留学するとしたら、どこの国がいいですか?」
9 「留学してみて、“日本人”を強く感じることはありましたか?」

本レポートの様式:
質問ごとに回答だけを羅列。筆者の見解等は第2弾へ続く。

インタビュイー:
img_kh
img_nakajima
K.H(匿名)        中嶋泰郁
国際教養大学      早稲田大学
国際教養学部      教育学部社会科

0 「どうしてリトアニアを選んだのですか?」
________________________________________

K.H「ヨーロッパに関心があり、勉強しつつも旅行などでEU諸国を実際に感じてみたいと思った。そして、リトアニアだと物価が安く、家計に優しいし、その分旅行費に回せるから。あとは、日本にとって比較的馴染のある国よりも、どちらかというと知名度の低い国に行き、皆が体験しないようなことを体験したいなって。」

中嶋「大学に入学して、杉原千畝に関するサークルに所属し、活動の一環で初めてリトアニアに訪れたのが2012年。それ以降合計で3度この国を訪れた。今回が4度目なんだけど、今までは馴染のある国に“旅行者”として関わってきたが、“移住者”としてリアルな生活を通じ、この国をもっと知りたいなって。せっかくここまで関わってきたのだから、どうせならもっと深めようと。」

*杉原 千畝(すぎはら ちうね、1900年(明治33年)1月1日 – 1986年(昭和61年)7月31日)とは、日本の官僚、外交官である。第二次世界大戦中、リトアニアのカウナス領事館に赴任していた杉原は、ナチス・ドイツの迫害によりポーランド等欧州各地から逃れてきた難民たちの窮状に同情。1940年7月から8月にかけて、外務省からの訓令に反して、大量のビザ(通過査証)を発給し、およそ6,000人にのぼる避難民を救ったことで知られる。その避難民の多くが、ユダヤ系であった。「日本のシンドラー」などと呼ばれることがある。 Wikipediaより。

なお、早稲田大学は彼の母校(中退)であり、日本の大学で唯一杉原千畝に関する団体(千畝ブリッジングプロジェクト)がある。(団体のフェイスブックページはこちら)

1 「これまでの留学生生活を一冊の本にすることが決まりました。タイトルとその理由を教えてください。」
________________________________________

中嶋「“成長〜ぼくと彼らの3年間〜”。まず、成長には2つの側面があって、1つは彼ら(友達)に関して。初めてリトアニアに来たのが2012年の夏、今回その時知り合った友達と3年ぶりに再開した。当時高校生だった子も大学2年生になってたりして、以前話した時よりも会話の内容が深かったり、様々な面で彼らが大きくなっていて、3年で人はこんなにも成長するんだと感心した。
もう1つは自分自身のことで、当初彼らの成長ぶりを見た時、それと比較して自分は変わることができたのかと自信がなかった。一学期を過ごし、リトアニア語を勉強していく中で、友人の家におじゃまする機会があり、その時彼の両親とリトアニア語で会話したんだけど、まあまあ会話にはなるかなというくらいには話せていて自信がついた。リトアニア語で伝えられることも、もちろん英語で伝えられることも増え。またその内容も、大学で勉強してきてちょっとは厚みを持たせることができているのではないかなーって。彼らと同様に自分も“3年前とは違うぞ”という気概が持てた。」

神長「リトアニア語は3年前から勉強を?」

中嶋「実は、本腰を入れたのは留学が決まってから。でも、杉原千畝の団体の活動として、カウナス(地名)に訪れて現地の人と交流するときも、彼らはアニメとか見て、自分で勉強して日本語を話す一方で、日本人サイドはだれもリトアニア語を話すことができなかったのが恥ずかしかったし、申し訳なかった。そういうこともあって勉強している。」

K.H「私は正直、正反対で、例えば留学について執筆を依頼されても書けることなんてなくて。目標もなく留学に来てしまったことを今すごく悔やんでいるんです。なあなあで来てしまって、何をしているんだろうなと思うことが多くて。だから、もしどうしてもタイトルをつけるとしたら“なにをしているんだろうな”かな。」

2 「留学開始当初、去年の9月にタイムマシンで戻りました。何からやり直しますか?」
________________________________________

K.H「まず、明確な目標をたてます!それから、妥協しない。友達の誘いを断らない。」

中嶋「振り返って見ると、比較的始めは部屋に引きこもってた。いいルームメイトに恵まれ、隣人にも恵まれという理由もあるけど、もうちょっとアクティブ、オープンになれただろうって。あと料理すべきだった。簡単な調理の仕方は日本で習っておくべきだった。」

3 「リトアニアに来て自分自身に変化はありましたか?プラスのこと、マイナスのことも教えてください。」
________________________________________

K.H「プラスのことは英会話が苦にならなくなったこと。日本の大学にいるときは、周りの人はみんな話せて、だから話せないのがコンプレックスで。でも、こっちに来て、話さないと生きていけない環境に身を置いて、ちょっとずつためらいも薄まってきて。日本語でも英語でも人前で話すのはまだまだ苦手だけど、日本に帰る前に少しでも克服できたらいいなと。
(マイナスのこと)自分はすごく楽観的な人だと思っていて、だいたいのことはなんとかなるでしょって。全然人生に悩みなんてなく生きてきたんだけど、留学に来て、こんなにも誇れる成果のない生活を送ってきてしまい、流石に鬱々としてきて。今までそんなふうに感じたことはなかったから、新しい自分に出会ったんだけど、自信を持つことではないなって。」

中嶋「マイナスから言うと、お金のありがたみがわかったと同時に、使い方が気になった。旅行するときも親のカードを切ってるし、交換留学だから5年分の授業料も親に負担させてしまっているし。お金の使い方が雑になってきているのと、罪悪感を感じている。けど、今はどうしようもなく、その罪悪感を抱えながらカードを切っている状況に、なんともいえない気持ち。
プラスのことは、意外になんとかなっていること。」

K.H「なんとかはなったんですよ、私も。こんなにも何もしなくても全然生きているから。楽観主義の自分が好きだったけど、こっちでは嫌いに。」

中嶋「その意味では、みんなに”留学どう?”と聞かれるけど、留学ってそんなに特別なことではないのかなって思ってる。」

4 「こちらに来てから、もっともトキメイタ瞬間はいつですか?」
________________________________________

中嶋「ささいなことだけど、記憶に残っているのは、フランス人の友達がすごく酔っている時に、”Oh, my Japanese friend!”と意識朦朧としながらも声をかけてくれたこと。友達として認めてもらえたって嬉しかった。あともう一個あって、”みんな国籍違っても人間なんだ”と思った瞬間。別のフランス人と歩いていた時に、彼が”リトアニア人は僕には美人すぎる”と言って。”フランス人でもそんなこと思うんだ”と驚いた。」

K.H「2学期目になって、私のメンターから”新しいルームメイト韓国人でもいい?”と聞かれ、日韓関係とかあまりよくないからどうしようとなって。だけど、すっごくいい人で、彼女らと過ごしていても微塵も気を悪くすることはなくて。実際に一緒に生活してみるまでわからないなって。それから日本を経つ前はアジア人差別とかあったらどうしようと怯えてたん出すけど、全然そんなこともなくて。イケイケのスペイン人のお姉さんから”一緒にクラブに行こうよ”と誘われた時は嬉しかった。」

*メンター、留学生をサポートしてくれる現地の学生。

5 「リトアニアのお国自慢をしてください。」
________________________________________

中嶋「2つあって、1つは友達の家におじゃまさせてもらった時に、昔ながらの伝統的な生活家具を大事にしているところがかっこいいなって。木の食器とか、市場で売っているようなバスケットとか。

img_home

参考 *彼が撮った写真

もう1つは自由や独立を重んじること。この前の独立記念日などでパレードを見て、ナショナリティというか、自分たちでソ連から独立を掴みとったんだぞという誇りがいいなって。」

K.H「自慢になるかわからないけど、国際情勢、主にロシアとの関係について危機感と関心が高いこと。私はニュース等で中国や韓国とのいざこざを見てもそれほど危機意識を持つことはないけど、こっちでは主な感心事の1つみたいで。歴史が違えば(占領されたリトアニアと、占領した日本)、こうまでも現代人の意識は違うんだなって。」

6 「何かリトアニア、あるいはリトアニア人にアドバイスをしてみてください。」
________________________________________

中嶋「難しいけど、リトアニア語を学んでいる外国人に優しく在って欲しい。例えば、不快に感じることが2つあって、こちらが少しリトアニア語を話せるとわかった瞬間べらべらとしゃべりたてることと、無理して話しているんだろうからと途中で英語にすり替えること。こちらが現地語を学ぼうとしている姿勢をもう少し汲み取って欲しいし、“もう1回おねがいします”と言っても嫌な顔をしないでほしい。」

K.H「これについて詳しくはないし、リトアニアに限ったことでもないのですが。ホームレスって、日本にもいますが、日本のホームレスは通行人にお金をせびることはあまりないけど、こちらではお店の中まで入ってきて乞うことがあるじゃないですか。政策とかでなんとかならないかなって。もちろん、移民政策などもあって一概に比較できることではないのですが。」

7 「“リトアニア”を日本語一語で表してみてください。」
________________________________________

K.H「“親近感”。地元と秋田県と似ている。高い自殺率もそうだし、暗い冬もそうだし。美人が多いこと、シャイなところ、お酒に強いところも。似た自然環境、風土が共通の、人々の間に流れる“空気”を生み出しているのかもしれない。」

中嶋「“明暗”。“暗”の部分は気候と、人々も明るくはない点から。けれども、リトアニア語で話しかけたりするとぱっと表情が明るくなったり、ひとたび行事になるとイキイキしたり。」

8 「もう1学期、国を変えて留学するとしたら、どこの国がいいですか?」
________________________________________

K.H「チェコ。もともと第一志望がチェコの大学で、そこでは一番興味関心のある授業を受けることができるから。」

中嶋「今まで学んできたことに延長、かつ、違った視点でリトアニアを見つめなおすという意味で、エストニアかポーランド。」

9 「留学してみて、“日本人”を強く感じることはありましたか?」
________________________________________

K.H「ソフトパワーというか、“日本人”というブランドで興味を持ってくれる人がすごくいて。ありがたいなって。対照的に、“自分”は何者でもないから恥ずかしいなって。」

神長「こっちに来て、そういうブランド名にあやかることで、昔の日本人に感謝する機会が増えたよね。」

中嶋「そうだよね。自国では“日本人”を意識することはないし。こっちに来てから日本のことについて聞かれることが多くなり、例えば最近よく聞かれたのは、“旭日旗はどうしてかかげなくなったのか?”とか。あとは、こちらで初めてマイノリティーとなって。アジア人、日本人の少ない国では、自分が祖国を代表する人のようで、自分がする行動が、日本人全体がする行動だとみなされることもあるから気をつけるようになった。外国に来て“日本人”になった。」

第2弾へ続く。

Share on FacebookTweet about this on TwitterShare on VKPrint this page